前川邸の紙片 鳥居強右衛門シャツの私は〇〇〇〇〇似であったかもの巻

warusyawa.hateblo.jp

 

実は私はむろつよしだったの巻(笑)

月曜日の京都滞在三日目での出来事である。まずは、ログ遼東の豕(冒頭のリンク参照)をご覧いただきたい。それを踏まえて記述したのが本稿である。


それにしても、鳥居強右衛門の例の磔の図の入ったTシャツを媒介に思わぬ縁が生じたことに驚きと可笑しみを感じる。
このTシャツは京洛に向かう途上、なんとなく休憩で新東名の新城パーキングエリアに立ち寄って、パーキングエリアの土産物屋コーナーで、「おお!鳥居強右衛門がTシャツになってる!」と思い、さっそく、諸国の景気振興のための消費という大義名分のもとで、購入したに過ぎなかったものだったのだけれど、京洛の壬生の地で三河尾張名古屋の方々と語り合うというものは、非常に小気味のよいものであった。

 

ブログ遼東の豕(冒頭のリンク参照)の執筆子にむろつよし似と仰られたので、鏡を見てみると、「なるほど、確かに似ているな」とも思ったけれど、やはり、私はキムタクのほうにより似ているとも思うのであった(笑)

ともあれ、私の旅はこういう見知らぬ人とのちょっとした交流の連続で、旅というものはそういうものなのかもしれないけれども、此度はブログに記載されているように、ブログ名の紙片をお受けしたので、このように当世流に、検索をして、文を拝読させていただいている次第である。

なお、紙片をいただいたときに「長州の諜者と思われて惨殺されるのではあるまいか。私は武州彦根藩領在の下々の一人に過ぎぬ」という妄想が働いた。わきゃない(笑)

 

余談を述べると、私が鳥居強右衛門を知ったのは小学生の頃、新田次郎原作で、歴史のジャンルでいえば全60巻の「三国志」を描いた横山光輝が漫画にした「武田勝頼」で例のジーザスの磔刑のような姿をビジュアルな視てからのことである。おそらく、鳥居の存在は一般には流布していないであろうから(今年の大河ドラマは観ておらず、鳥居の認知度がどう変化したかについてはつゆしらず)、鳥居強右衛門の存在はほんの微細なことながら、少年期から今に至るまでの私の人生世界の中にちょくちょくと入ってきていることに気付くのだ。大げさにいえば。さて、次は褌一丁姿になる機会でも生じるのであろうか。

 

 

When I stayed in Kyoto on last Monday,I met some guys who were taking a trip for visiting Shinsengumi history. I bought a T-shirt on my way to Kyoto. This T-shirt is famous for Japanese history lovers,it`s printed on the pic of Sunemon Torii. He was killed in Aichi pref and the writter and his companies are also from Aichi pref. Travelling is really interesting.